20代の後半のころだったでしょうか、インディ・ジョーンズ“最後の聖戦”に出てくるジョーンズ父のノートを見て「オレも仕事をあんなノートに記録しておきたいものだ」と思い立ち、丸善に出かけましたが、当時はあの映画に出てくるようなゴムのバンドで括るノートは売っておらず、仕方なしに(と買うにはあまりにも高価)丸善オリジナルの「ダイアナノート」を求めました。
しかし高いノートには高尚なコトを書かなければいけないというカタチにとらわれ、もとより高尚なことなど書こうにも書けないわけで、その厚みと普段使いには似合わない高級さも合わさって、すぐにお蔵入りとなりました。モッタイナイ。
しばらくしてモールスキンが発売され「オレが欲しかったのはこのノートだ!」と早速購入。以来愛用しています。
最初は仕事用とプライベート用を分けていたのですが、そんな細やかな使い分けが続く訳もなく、すぐに一冊にまとめるようになりました。
ノートは書くだけで時系列に記録が残るわけで、めくるだけで過去の仕事を調べることもできて、しかも検索が早い。(何をどのあたりに書いたか結構覚えているので、たどり着きやすい)
デジタルメディアにはノートをめくる、という触感の表現は難しいでしょうし、しばらくは両建てで使っていくのでしょうね。
さて、ここからが一番書きたかったことです。
半年ほど前でしょうか、友人と息子、私の三人で、自由が丘の蕎麦屋に出向きました。
その友人はライターで学生に教えている先生でもあるので、物書きを目指す長男のために、業界の話やあれこれを聞かせてくれることになったのです。
息子自身のことでもあるので、私はあまり話に加わらず、横で蕎麦をたぐりながら日本酒を飲み、少し酔ってかき揚げの揚げ方が悪いなどと文句を言っていたのですが、耳だけはしっかり二人の話に集中しておりました。昔から面白い話をする友人でしたが、今は経験が加わってタメにもなるし、面白い。
話に耳を傾けるとともに、私の目は友人の手元のノートを見つめていました。
彼の話は「どうしたら物書きになれるか」「大学で何を学ぶべきか」「自分の売り込みかた」など、本職ならではの説得力のある話でしたが、その話は「思いつくまま」ではなく、手元のノートの内容に沿って、順序立てて進められているようなのです。
その様子から、友人が息子に会うにあたって、何をどんな風に話すか、事前にノートにアウトラインや何やらを書き込み、準備をして来てくれたことは明らかでした。
その時の彼のノートがモールスキンでした。
普段使いにするには、高級なノートですが、大切なことを手書きで記録して、ストックしておく道具としては、最良のノートであるような気がします。
友人が息子に話をすることを、ノートに書き、これからそれがストックされることを想像すると、この先が楽しみです。
息子、がんばれよ。そして友人、ありがとう。
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