昨年の1月までウチで働いてくれていたNam Chanjingからメールが届いた。
前号よりの続き...
上京して造園会社に就職し、その研修で登った東京タワーからの風景が、その後の私の人生を大きく変えたことは前回お話しました。
それから緑の仕事一筋でやってきたわけですが、最初は見習いで、冬は温室のボイラー炊き、春は調布深大寺農場での寒施肥、さらに貸し植木の配達やお使いに走り回っていました。
昭和30年代のこと、車など与えられるはずもなく、自転車で東京の街を駆け回りました。
そんな風に見習時代を過ごしていましたが、私たちの世代は、戦争で前の世代の方が多く亡くなっているので、先輩が少なく、働き始めて数年のうちには営業部員として、会社の中心で働くようになっていました。
主なお客様は百貨店でした。高度成長期の百貨店は力強く、華やかで、消費の中心でした。
その百貨店を相手にする仕事も当然のことながら忙しく、寝る間もなく働いていたと記憶しています。
そして、その百貨店で与えられた仕事が東京タワーで誓った夢の実現へと向けた最初の一歩となります。
当時、その百貨店の宣伝部の責任者が、「百貨店にこれから大切なのは、花と緑だ」というテーマを掲げられ、これに伴って室内に緑や花を積極的に取り込んでいました。
花の色が変化するという理由で忌み嫌われていたアジサイや、「下がる」ことから商売には縁起が悪いと言われていたつる性植物を使用するなど、当時としては画期的なセンスで装飾をされていました。
更に、建築家の村野藤吾さんの、「百貨店は買い物をしてもしなくても疲れる場所だ。買い物客がゆっくりと休める芝生の庭園を屋上に作ったらいい」というアドバイスがあり、屋上庭園を造ることになり、若い私がその仕事の企画を任されたのです。
とはいっても、当時は屋上庭園という言葉もなく、また技術も未開発でしたので、屋上に庭園など造ったら防水や建築物を傷めると、建設会社も防水会社も大反対でした。もし屋上庭園をつくるのなら、防水が壊されても保証をしない、そんな時代のことです。
当時は(そして今も)屋上に木を植えると、根が防水を傷めて漏水するというのが常識です。
私は屋上庭園の実現に向けて様々な方法を検討し、日々解決策を探りました。
新しい技術のヒントは、思いもかけないところにあったのです。
そして、この技術を発見したことが、私を更に植物の道に夢中にさせ、その後の仕事や人生を有意義で、豊かなものにしてくれました。
(続く)
会長、小口、早速、そしてデザイナーのHさんが今週末のプレゼンのための最終打ち合わせをしています。
弊社会長の池上信夫(私の父)は御年67歳。未だ現役。驚くほど身体が動く人で、いつも驚かされます。この会長が「アクアソイル工法」を開発した張本人で、従来の常識を破って(というか従来の常識は眼中になかった)半世紀も続く緑化工法を継続してきたのです。
以前会長が掲載した原稿をもう一度掲載します。
私は1940年に岐阜県益田郡萩原町(現在の下呂市萩原町)で生まれ、現在は東京で屋上緑化工法「アクアソイル工法」を用いた屋上緑化、都市の環境向上に取り組んでいる会社の会長です。
生家が材木問屋を営んでおりましたので、小さいころから植林事業に参加し、手伝いがないときには近くを流れる益田川(現在の飛騨川)や桜渓谷で釣りや投網といった川遊びに明け暮れて過ごしました。
南飛騨の自然の中で過ごした少年時代、そして山仕事の手伝いは、今の仕事や人生の大きな財産となっています。
高校を卒業してからは半ば集団就職のようなかたちで上京し、東京の造園会社でお世話になることになりました。
東京の人の多さには驚きましたが、それ以上に新人研修で登った東京タワーから見たショッキングな光景がその後の私の人生を決めることになりました。
当時の東京は高度成長期の真っ只中、沢山のビルが立ち並び、それは力強いものでしたが、見下ろす風景一面が灰色にくもり、自然の中で育った私には一寸信じられない光景だったのです。
そして「ショッキングな光景」を見た私は、「この東京の空を緑色に染めてみよう。都市の中の森づくりをしてみよう」という夢を抱いたのです。
以来40数年、一般家庭も含めて屋上緑化中心に、室内緑化にも取り組みながら、都市に緑を植える仕事ひとすじに歩んできました。
最近は屋上緑化が話題になり、「都市の温暖化を抑制」、「環境をよくする」、「補助金が受けられる」など、マスコミに取り上げられることもしばしばで、私たちのようにこじんまりと仕事をしている会社の周りも騒がしくなっています。
「屋上庭園に関する資材の開発と販売をしています」というと、間違いなく100%の人が「今はブームだから忙しいでしょう」と言われます。
確かに忙しく過ごさせていただいており、大変感謝しております。
しかし都市の森作りは実に奥が深く、簡単な仕事ではない、と年を重ねるごとに思いを強くしています。単に植物を植えただけで温暖化が抑制されたり、環境がよくなるわけではありません。
土壌と植栽の計画を間違えると、かえって環境を悪化させたり、都市における植物群のスラム化を起こし、マイナスの要因の方が多くなることがあります。
正しい技術で造られた屋上緑化や都市緑化のみが、都市に美しい環境をもたらし、失われた緑多い風景を復元させる「きっかけ」となるのです。
若いころ東京タワーで抱いた「夢」はまだ果たされていません。地道でも良質な屋上緑化を造り続けることが、「夢」を未来に繋いでいく最良の方法と信じて、日々努力しています。
(続く)
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