いつにも増して門外漢が勝手気ままに書き連ねています。
ご専門の方々には読むに耐えない内容やも知れませんが、巨匠へのリスペクトは込めたつもりなので、どうぞご容赦下さい。
今回の「建築家 坂倉準三展」の見学は、JIA関東甲信越支部住宅部会の主催で、見学会の後、第二部として晩年の直弟子お二人が坂倉順三先生の人物像を語る講演会も企画され、そちらの方にも参加させていただきました。
例によって最前列にて聴講。(身体が大きいので後ろの人は迷惑だろうけど)
アトリエの様子や仕事の進め方、作品の解説、更にこれらにまつわるチャーミングなエピソードなど盛りだくさんの2時間で、どのセクションの話も分かりやすく、また楽しく聞かせて頂いて、本当に有り難かった。
その中にひとつ、屋上庭園を生業とするものとして、聞き逃せない話があった。
それは坂倉順三先生と屋上庭園の話だ。
門外漢があれこれ書くのは相応しくないが、坂倉順三先生はかのル・コルビュジエ先生のこれまた直弟子であり、その哲学や手法、そしてスタイルなど(安直な表現でスミマセン)あらゆることを自らの仕事にも取り入れられたとのこと。
しかし屋上庭園についてはそうしなかった、つまり取り入れなかったらしい。
確かに展覧会を見ても、屋上庭園を取り入れた建築は全体から見ると僅かだ。
その理由は側でお仕事をされていたお二人から見ても謎らしい。
そもそも「近代建築の五原則」の中に屋上庭園を提唱されたコルビュジエ先生も、その論を最後まで貫かれたか、というとそうでもないらしい。
西洋美術館で屋上庭園についての一貫性が途絶えた、という説もある。
僅かな経験を引き合いに出すのは恥ずかしいけど、今まで色々な設計事務所や建築家の方とお話ししていて、「屋上庭園はどうもね...」という方には概ね2種類の方がいらした。
ひとつは意匠面でのことで屋上庭園が自らの建築の意匠とマッチしない、というのが一番の理由で、かの有名建築家におかれては「僕の建築に緑は合わない」とはっきり仰った。
もうひとつの理由は建築物への悪影響やメンテナンスのことだ。
一般的には屋上庭園を造ると植物の根が防水や躯体を傷める、という心配がされるし、多くのメーカーもその不安を救い上げて仕様を決めている。
メンテナンスが大変で、コストもかかる、という屋上庭園のデメリットを挙げられる方も多い。
私の経験と大先生のお考えを照らし合わせるのは不遜だと理解しつつ、もしコルビュジエ先生、そして坂倉順三先生が「建物を傷めるから屋上庭園は心配だな」と思われていたなら、今ある技術を精一杯説明してみたい。
「うん、それなら大丈夫かな」と言わせてみたい。
意匠面でのことだとしたら、これは仕方ない。
しかし、そうだとしても、建築を阻害しない、出しゃばらない、もっと言えば建築にマッチするような屋上庭園を精一杯考えてみたい。
こっちの方も「うん、それなら大丈夫かな」と言わせてみたい...。
などと講演の最中からお得意の「妄想族」となった私は、坂倉順三先生と直に話をしている自分を想像し、「坂倉先生、オレはやるぜ!」と熱くなり、ついでに目頭を熱くしたのであった。(我ながら幸せな男だ...)
勿論、目頭を熱くしたのは妄想族の爆走ばかりが理由でない。
お二人のお弟子さんが師匠を語るその姿が、尊敬と愛情と親しみに溢れていて、まるでここに坂倉順三先生がいらっしゃるかのような親近感を憶えたからだ。
坂倉順三先生は誰に対しても丁寧な言葉で語りかけた人だったという。
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