会長、小口、早速、そしてデザイナーのHさんが今週末のプレゼンのための最終打ち合わせをしています。
弊社会長の池上信夫(私の父)は御年67歳。未だ現役。驚くほど身体が動く人で、いつも驚かされます。この会長が「アクアソイル工法」を開発した張本人で、従来の常識を破って(というか従来の常識は眼中になかった)半世紀も続く緑化工法を継続してきたのです。
以前会長が掲載した原稿をもう一度掲載します。
私は1940年に岐阜県益田郡萩原町(現在の下呂市萩原町)で生まれ、現在は東京で屋上緑化工法「アクアソイル工法」を用いた屋上緑化、都市の環境向上に取り組んでいる会社の会長です。
生家が材木問屋を営んでおりましたので、小さいころから植林事業に参加し、手伝いがないときには近くを流れる益田川(現在の飛騨川)や桜渓谷で釣りや投網といった川遊びに明け暮れて過ごしました。
南飛騨の自然の中で過ごした少年時代、そして山仕事の手伝いは、今の仕事や人生の大きな財産となっています。
高校を卒業してからは半ば集団就職のようなかたちで上京し、東京の造園会社でお世話になることになりました。
東京の人の多さには驚きましたが、それ以上に新人研修で登った東京タワーから見たショッキングな光景がその後の私の人生を決めることになりました。
当時の東京は高度成長期の真っ只中、沢山のビルが立ち並び、それは力強いものでしたが、見下ろす風景一面が灰色にくもり、自然の中で育った私には一寸信じられない光景だったのです。
そして「ショッキングな光景」を見た私は、「この東京の空を緑色に染めてみよう。都市の中の森づくりをしてみよう」という夢を抱いたのです。
以来40数年、一般家庭も含めて屋上緑化中心に、室内緑化にも取り組みながら、都市に緑を植える仕事ひとすじに歩んできました。
最近は屋上緑化が話題になり、「都市の温暖化を抑制」、「環境をよくする」、「補助金が受けられる」など、マスコミに取り上げられることもしばしばで、私たちのようにこじんまりと仕事をしている会社の周りも騒がしくなっています。
「屋上庭園に関する資材の開発と販売をしています」というと、間違いなく100%の人が「今はブームだから忙しいでしょう」と言われます。
確かに忙しく過ごさせていただいており、大変感謝しております。
しかし都市の森作りは実に奥が深く、簡単な仕事ではない、と年を重ねるごとに思いを強くしています。単に植物を植えただけで温暖化が抑制されたり、環境がよくなるわけではありません。
土壌と植栽の計画を間違えると、かえって環境を悪化させたり、都市における植物群のスラム化を起こし、マイナスの要因の方が多くなることがあります。
正しい技術で造られた屋上緑化や都市緑化のみが、都市に美しい環境をもたらし、失われた緑多い風景を復元させる「きっかけ」となるのです。
若いころ東京タワーで抱いた「夢」はまだ果たされていません。地道でも良質な屋上緑化を造り続けることが、「夢」を未来に繋いでいく最良の方法と信じて、日々努力しています。
(続く)
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