私の家は東京都の城南地区にあります。歩いて10分圏内に国道246号線、環状七号線などの大きな道路がある一方、大きな公園もあるので、東京にしては環境に恵まれたところではないかと思います。
家族を持ってからの住まいは、実家の隣に設けました。(世田谷に一軒家を持つのは大変なことです。紆余曲折あって、今の場所に住めることになりました)元々蛇崩川という小さな川が流れていた場所を遊歩道にした公園のすぐ傍に建っています。上の画像は遊歩道から家を撮影したもので、下の画像は向かいのマンションから見下ろしたものです。中央付近、ガルバリウムの銀色の屋根が拙宅です。
遊歩道には仕事の関係で手に入れた植木を世田谷区に寄付しています。カツラ、ヤマボウシ、コブシ、シラカバ、クマノミズキ、ヤマモミジ、イタヤカエデ、サルスベリのナッチェ(白い花が咲く)、イギリスナラなど本当に沢山の木を寄付しています。
春先の新芽の季節の美しさは格別で、またこの季節にメジロ、シジュウカラ、ヒヨドリなど、沢山の鳥がやってくるのも楽しみです。
今年の春は、件のモミノキによく鳥が飛んでくるなぁ、と思ったら先日来お伝えしているヒヨドリが巣をかけました。
鳥が飛んでくる、というのは自然が戻ってきたことを感じるのに、とても分かりやすい現象です。鳥に詳しい方から見れば、ヒヨドリが巣をかけたことなど珍しいことでもないのかもしれません。でも単純に嬉しいし、周囲の方もとても喜んでくださいます。一番喜んでいるのは父のようです。そりゃそうでしょう。20年以上前に自分が植えた木に鳥が巣をかけて、それが孫たちの勉強机の真ん前にあるわけですから。ヒヨドリが巣をかけたことを真っ先に報告したら、「あれは俺が植えたんだ」と言ってました。(知ってるって!!)
父は私が中学生の時に独立して今の会社を興しました。(株式会社イケガミ http://aqasoil.co.jp ) 当時から「都市の環境を良くする、子供たちに美しい環境を残す」とよく話しており、創業したばかりのころに、仕事で使うアルミの脚立の横に、「美しい環境を残そう」と太字のサインペンで書いていたのを覚えています。何も分からない私は「都市の環境より我が家の環境を向上させて欲しいものだ」などと生意気にもそう考えていました。
なぜ、父は早くから「都市の環境」について語っていたのか、そして行動を起こしていたのか、それは父の仕事を始めた際のある出来事がきっかけだったそうです。 (http://www.aqasoil.co.jp/aqa_toku.html にそのあたりのことが書いてあります)
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